2009年07月03日

近年は国際輸送での競争力と国内外に

近年は国際輸送での競争力と国内外に張り巡らされた輸送ネットワークを活かし、企業の生産活動における各種輸送業務(原材料調達や製品輸送等)から倉庫での製品管理や作業に至る一連の物流事業の一括請け負い、海外生産拠点を設ける企業の国際輸送業務の拡大に力点を置いている。

元来、通運業者として企業向け貨物の大口輸送を得意としそれに付随して保管や荷役を請け負うと言った形で業務を展開して来た事もあり、こうした分野で日通は圧倒的な強さを発揮し国際的に業務を展開する日本企業や日本に進出している外資系企業を中心に物流業務を全面的に請け負う事で、コスト削減や物流拠点の集約化によるリストラを成功させている例も数多く、長い歴史を持った大手製造業から近年躍進の著しい新興インターネット通販業者に至るまで業種は幅広い。
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物流業界では「サード・パーティー・ロジスティクス」と呼ばれる物流事業の一括請負事業では、例えば製造業の工場や倉庫、流通業の物流センターなどの生産・出荷拠点に日通の事業所が同居し輸送や保管を一括して行っている事例も数多く見られ、企業向けの物流事業で実力を発揮している事を示す一例と言える。

また設立の経緯から公的部門の輸送業務にも強く、官公庁移転の際の引越し業務、政府や自治体など、公的機関の輸送業務(海外・国内の見本市や展示会など)を一括受託する事も多い。なお、政府や自治体から災害などの緊急事態の際に行われる救援物資緊急輸送業務に協力する、民間事業者の指定も受けている(有事法制)。

ヤマト運輸と日本通運を比較し、「一般消費者向け物流に強いのがヤマト運輸」・「企業間物流や国際輸送に強いのが日本通運」であると分析する識者も多い。しかしながら、主要な荷主(キヤノン、エプソン等)の相次ぐ撤退が続きこの分野においても、川下物流の弱さのためか、苦戦を強いられている。

2009年06月13日

蔵の槽口から出てくる、できたての酒は秋の稲穂

ほんらい酒蔵の槽口から出てくる、できたての酒は秋の稲穂のような黄金色に近い色をしている。また熟成が進むと深い茶色へと進んでいったり、少しばかり緑がかってくるものもある。あるいは精米歩合が高く、造りがしっかりしている大吟醸などは、ダイヤモンドのように鮮やかにきらめく光沢を持つ。そうした酒の色は、愛飲家たちにとって格好の鑑賞の的である。

しかし全国新酒鑑評会では過去に、色のついたまま出品されている酒は減点の対象としていた時代があり、それゆえ酒蔵では活性炭濾過などで必死に色を抜いていた。その結果が今日「清酒」という言葉から一般的にイメージされる水のような無色透明である。

昨今は天然の色のまま販路に乗せる酒蔵も増えてきたので、再び酒の色も楽しめるようになってきた。

冴え(さえ)
美しく透き通った光沢。とくに、やや青みがかって見える状態を青冴え(あおざえ)といい、高く評価される。
照り(てり)
うっすら山吹色に艶の出た状態。たいてい好まれる。
ぼけ
少々混濁して、色彩がぼやけていること。
透明度
どれだけ透明に製成されたかを語る指標。
澄明度
自然に造られた澄んだみずみずしいきらめき。
黄金色(こがねいろ)
照りのなかでも最も好まれる色調。
番茶色(ばんちゃいろ)
古酒などに多い、やや濃く熟成した色調。黄金色ほどは、色が鑑賞の対象とはならないことが多い。
色沢良好(しきたくりょうこう)
鑑評会などで語られる、色合いが好ましいさまを語る定番の表現。
色沢濃厚(しきたくのうこう)
かなり色がついている状態。好ましいと受け取る者も多い。
混濁
いろいろな色調に濁っていること。見た目としては評価を得がたいが、こうした酒が一概に味もまずいとは限らない。

香りの用語・表現 [編集]
これも製法に関わる用語・表現と同じく、時代・世代や地方によってさまざまであるが、標準的なものを示しておく。
バンジージャンプ
地球温暖化
体外離脱
白血病
花見
VDT症候群
元素周期表
油彩画
民話
翻訳
賃貸借
水上スキー
漢方薬
スキー
心療内科
妖怪
血液学
近畿地方
ウエストナイル熱
中国地方

熟成香
熟成によって生じる好ましい香りで、強いものは「古酒香」とも呼ばれる。香りの様態はさまざまで、それぞれ紹興酒、シェリー酒、カラメル、干ししいたけ、干しブドウなどに例えて表現される。
吟醸香(ぎんじょうこう / ぎんじょうか)
「ぎんじょうこう」が正しい読み方とよく言われるが、専門家の中でもわざわざ「ぎんじょうか」とルビを振り読者の注意を促す者もいる[2]ので注意を要する。
吟醸酒や大吟醸酒に特有の芳香。リンゴやバナナのような香りが最も一般的だが、酒によってはマロン、クリーム、チョコレートのような吟醸香を出しているものもある。決して香料を加えているのではなく、吟醸造りのような低温発酵時に酵母が出すエステル類、特にカプロン酸エチルや酢酸イソアミルに起因する香りである(参照:醪(もろみ))。造りの良い純米酒など、吟醸酒以外にも感じられることは多い。なお、生成された吟醸香はすべて醪の中に留まるわけではなく、多くは大気中に放散されるため、ヤコマン装置によりそれを回収・液化して、醪の中に戻したり、あるいは元の醪以外の日本酒へ添加することもかつて行われていた。最近は新型酵母の開発により、そういう必要はなくなってきたといわれる。
リンゴ香
吟醸香の一種で、カプロン酸エチルに起因するデリシャスリンゴのような芳香。適度なリンゴ香は吟醸酒に気品を与えるとされる。
バナナ香
吟醸香の一種で、酢酸イソアミルに起因するバナナのような芳香。適度なバナナ香は日本酒に甘くフルーティーな香りの厚みを加えるものとして好まれるが、強すぎると異臭に感じられ「酢酸エチル臭」「セメダイン臭」と呼ばれて減点の対象となる。ヤコマン装置によって回収される主な香り成分でもある。
新酒ばな
主に麹に由来する新酒特有の若々しい香りで、熟成するにしたがって消えていく。燗酒を好む熟達した飲み手は、燗によって強められた新酒ばなを敬遠することが多い。
アルコール臭
アルコール添加がうまく行かなかったときに生じる薬品のような臭い。醗酵によって生じるアルコール成分と違って、酒そのものと一体化していない、添加したアルコールが浮いた感じになって起こる。
老ね香(ひねか)
「熟成が進みすぎた(過熟)」、「熟成しないうちに劣化した」、「保存方法が正しくなかった」などの理由で、酒が酸化してしまったときに生じる異香。熟成香と紙一重で、不快であれば老ね香とされる。それゆえごく稀に、少しばかりの老ね香はかえって酒に箔をつけるものとしてプラスに評価される場合もある。
生老ね香(なまひねか)
「生酒が古くなった」、「保存方法が正しくなかった」などの理由から、酵素の働きから生じる、むれたような猛烈な悪臭。活性炭濾過でも除去できず、出荷前に発生すると蔵にとって致命傷となるが、じっさいには出荷後の流通・小売業者、あるいは購入後の消費者の、保存方法や温度管理のまずさによるところが大きい。「生酒は米の牛乳」と思っておけば、まず間違いない。
つわり香
醪の醗酵の失敗などに起因する、乳製品が腐ったような臭いで、吐き気を催させることからこう呼ばれる。専門的には「ダイアセチル臭」と呼ばれ、「火落ち臭」と似ている。

2009年06月09日

源姓畠山氏の祖である足利義純の子孫のうち

源姓畠山氏の祖である足利義純の子孫のうち、義絶した新田家の娘との間の子らは岩松氏となる。岩松家は新田一門として活動し、後に新田家の末裔を称した(詳細は岩松氏を参照)。

鎌倉時代に源姓畠山氏から分かれた一族としては、日向に畠山家の庶流の一族がある。また、失脚し没落した畠山国清の子孫の系統も存続したとされる(西谷内畠山家)。薩摩に下向した一族もあり(阿多氏)、島津氏の家臣長寿院盛淳(阿多盛淳)はその子孫である。
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三河畠山氏(足利氏の一族)は、室町時代に、足利幕府の奉公衆として、畠山宗元が、三河国志貴荘に下向。志貴荘の荘館である安城古城を本拠にした。その後、和田氏と改め、和田親平の代に、安祥城を築城して移る。安祥城は、松平信光の奇襲で落城した時の城主は、徳川実紀によると、畠山加賀守某という。

日向国(ひゅうがのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった国の一つで、西海道に位置する。現在の宮崎県にあたるが、成立当初は鹿児島県の本土部分をも含んだ。日州(にっしゅう)、また向州(こうしゅう)と呼ばれることもある。延喜式での格は中国、遠国。

7世紀に設立し、現在の宮崎県と鹿児島県の九州本土部分を管轄した。大宝2年 (702年) に唱更国(後の薩摩国)が分立し、鹿児島県部分の西部(薩摩)が除かれた。和銅6年 (713年) 4月3日に、大隅国を分立し、肝杯郡、贈於郡、大隅郡、姶羅郡の四郡が移管した。以後、日向国の領域(臼杵郡、児湯郡、宮崎郡、那珂郡、諸県郡の五郡)に変化はない。

2009年04月25日

ギリシャ独立戦争

ギリシャ独立戦争(ギリシャ語:Ελληνική Επανάσταση του 1821(1821年ギリシャ革命)、英語:The Greek War of Independence)はオスマン帝国からのギリシャの独立を巡り争われた戦争。1830年のロンドン議定書によって列強により独立が合意され、最終的には1832年6月のコンスタンティノープル条約によりギリシャの独立は承認された。ギリシャでは3月25日を独立記念日としている。

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オスマン帝国は14世紀から15世紀にかけて東ローマ帝国を征服し、イオニア諸島を除いたギリシャ全土をその支配下においていた。18世紀に入るとヨーロッパにおいてナショナリズムが高揚し、同時にオスマン帝国の勢力に翳りが目立ち始めた。

1814年に3人のギリシャ人商人がオデッサにおいてフィリキ・エテリアと呼ばれる秘密組織を結成した。この組織は西ヨーロッパにおける親ギリシャの世論を背景に、イギリスおよびアメリカに移住したギリシャ人社会とロシア政府からの密かな支援を受けており、オスマン帝国に対する反乱を計画していた。組織の指導者には、ロシア帝国の軍人でファナリオティス出身のアレクサンドロス・イプシランディスがついた。

1821年3月6日にイプシランディスに率いられた一隊がルーマニア国境のプルト川を越え蜂起した。同月23日にはペロポネソス半島南部の都市カラマータを反乱軍が掌握した他、パトラ、マケドニア、クレタ島、キプロスなどでも反乱の火の手があがった。オスマン帝国の当局は反乱を全く予期しておらず、ペロポネソス半島を中心とした地域が反乱軍の支配下に入った。

オスマン帝国は直ちに反乱の鎮圧を目指したが、反乱軍とオスマン帝国との争いは決着がつかず、1825年になり、スルタン・マフムト2世はムハンマド・アリーにより統治されていたエジプトに助けを求めた。アリーはシリア地方の割譲を条件に参戦し、近代化された海軍を用いてエーゲ海の諸島を直ちに占領した。

ヨーロッパではギリシャの反乱に対する同情が広がっていた。ギリシャは西ヨーロッパ文明の源であり、当時盛んだったロマン主義の観点からも、キリスト教諸国が一致してギリシャ独立支援にあたることが支持されていた。バイロンに代表されるヨーロッパの義勇軍が組織され、ギリシャに赴いていた。

このような世論に対し、オスマン帝国の過度の弱体化を好まないヨーロッパ諸国の政府間では、ギリシャの自治国化を軸に問題を解決しようとしていた。示威行為のために英仏露は艦隊を派遣している。1827年10月20日、ペロポネソス半島西南にあるナヴァリノ湾に停泊していた英仏露合同艦隊とエジプト・オスマン帝国艦隊との間に偶発的な争いが生じた(ナヴァリノの海戦)。この海戦において、数的には劣勢であった英仏露合同艦隊が、オスマン帝国艦隊を壊滅させることとなった。これはギリシャ独立戦争の転換点となったが、このような海戦を予期していなかった英国政府によって艦隊司令官は解任された。

1827年にはフランス人の将軍に指揮された1万の反乱軍がペロポネソス半島においてオスマン帝国の軍隊を打ち破った。ギリシャ軍はペロポネソス半島を根拠地にしてアテネ、テーベなどギリシャ本土を占領した。

ヨーロッパでは当時ポーランド独立革命(失敗)、ベルギー独立革命、フランス7月革命など、各地で民族独立運動が繰り広げられていたウィーン体制の動揺期であり、その評価は欧州でも割れた。欧州諸国民の世論は概ね独立の支持であり、しかし一方で体制は反動期であった。

結局、ヨーロッパ列強はギリシャの独立を支持することに至り、ウィーン体制に亀裂が走ったのである。しかもこれは、バルカン半島のイスラム教徒の支配を覆する土台となったのである。

そのころ北方からは、正式に宣戦布告したロシア軍が南下し、苦戦の末イスタンブル北西の都市アドリアノープルを占領した。ロシア軍の独走を嫌うイギリス・オーストリアの仲裁によって1829年、露土間にアドリアノープル条約が結ばれた。

このバルカン半島のオスマン帝国領の処遇を扱った条文の中で、ギリシャについては自治国としての独立が保証されたが、ギリシャにおけるロシアの影響力が増大することを懸念したイギリス・フランスは、その影響力を弱めるためにもギリシャの完全独立を主張した。そのため、1832年のロンドン議定書によって完全独立が認められた。

しかし、英・仏・露の三国は、互いに牽制しつつもギリシャへの影響力を維持したいと考え、1832年6月11日に開かれた会議でギリシャを君主国とすることが正式に決定され、同年7月にオスマン帝国およびヨーロッパ列強の間で調印されたコンスタンティノープル条約で、ギリシャの独立が正式に認められた。

これにより1453年の東ローマ帝国滅亡以来、約380年ぶりにギリシャ人の国家が誕生した。

列強はウィーン体制にこだわり、あくまでも共和制の樹立に難色を示し、ギリシャ人の支持のないまま、強制的に王政へと移行された(ギリシャ王国)。列強は、英・仏・露の三国とのつながりが薄いヴィッテルスバッハ家のバイエルン王子オットーを、ギリシャ王オソン1世として即位させた。独立した領土もペロポネソス半島周辺に限定されたため、ギリシャ人の対トルコ闘争は継続されることになった。


2009年04月08日

ニュー・メタル

ニュー・メタル (Nu metal) は、1990年代中期に興った音楽ジャンル。グランジやオルタナティブ・ロックの影響と1990年代初期のヒップホップやエレクトロ、伝統的なヘヴィメタル(特にスラッシュメタル)の影響が融合している。商業的に盛んであったのは1990年代後期から2000年代初期である。

日本では、とりわけこのジャンルのことを「モダン・ヘヴィネス」や「ヘヴィ・ロック」と呼称することで、旧来のヘヴィメタルとは違うことを強調したマーケティングが行われた。

発展と衰退 [編集]
1990年代後期のオルタナティブ・ロックの全盛を受け発達。その後のヒップホップ全盛との狭間で世界的に広がったジャンルである。自己嫌悪や人生への葛藤、恋愛による苦しみ等を表現するアーティストが多数派を占める。ヒップホップの要素を取り入れたアーティストも多く、聴きやすさの点では過去のヘヴィメタルに比べ世間になじみやすかった曲調の物が多い。全盛期においてはコーン、リンプ・ビズキット、クレイジータウン、リンキン・パーク、パパ・ローチ等の躍進もあり、世界的な盛り上がりを見せた。同時期に活躍したアーティストにはシステム・オブ・ア・ダウン、ディスターブドやトラスト・カンパニー等が上げられる。近年、活況を呈しているメタルコアもこれに含まれる場合がある。

しかしあまりに急速に世界的に広まってしまったため、似たようなバンドの乱立を招き次第に衰退していった。

テリーヌ レーション パドック コラール ランド ブリス しし唐 レッド ダラス バスタ クロノグ ティング ドライ フルカップ ゴッド ハイド カナン シダレ りつりん ひぼう チカフ ナーバス なかふら ヨゴリーノ 高菜 ドアボーイ フレナ ユズリハ 潮の香り ブラック やしゃ オリンピピ ヤラピン イスア スラム ミラージュ ビート ワイポ クローニ オゾンホ プラン シトラス やなだに テラピア セレクト バック カイドウ バルブトゥ シティ あきう


2009年03月24日

名鉄モ770形電車 (2代)

名鉄モ770形電車(めいてつモ770がたでんしゃ)は、路面電車車両の一形式である。

2005年までは名古屋鉄道(名鉄)に在籍し、岐阜市内線と揖斐線との直通列車を中心に用いられていたが、同線の廃止により福井鉄道に譲渡され、同社770形となった。本稿では名鉄・福井鉄道双方の活躍を記述する。
岐阜市内線・揖斐線両線には1967年(昭和42年)より直通列車が運転されていたが、車両は大正時代末期に製造された旧型電車であった。1987年(昭和62年)に直通車のモ510形の一部とモ520形全車とを新型車に取り替えることになり、770形電車が新造されたものである。多くの名鉄電車と同じく、日本車輌製造で製作された。

名鉄の運営していた600V路線(岐阜市内線・揖斐線・美濃町線)では初の冷房つき車両で、2車体を台車によって接続する連接車であった。

先に登場していた美濃町線専用の連接車モ880形からデザインや基本設計の多くを引き継いでいるが、岐阜市内で急カーブを曲がることを考慮して、車体幅は同形より130mm狭くなっている。さらに、新造時からワンマン装置が設置された(当初は揖斐線内のみ、1997年からは岐阜市内線でもワンマン運転を実施)。また、揖斐線の各駅はプラットホームが設けられていたが、市内線の電車停留所では道路上から乗降するため、乗降口を揖斐線のホーム高さにあわせ、市内線内向けには折りたたみ式ステップを装備した。

市内線内では信号や右折車等障害があるため低速であったが、忠節駅?黒野駅間の揖斐線内における急行運転では弱め界磁を駆使し最高速度70km/hで走行した。

770-771?776-777の4編成8両が製造された。当初はスカーレット一色で登場したが、後に1997年(平成9年)に登場したモ780形に準じた塗装に改められた。

なお、772編成は1994年(平成6年)から1997年(平成9年)の間「ブルーライナー・ミニ」として、本線系路線の特急用車両1000系「パノラマsuper」に施された「ブルーライナー」塗装と、ほぼ同一の特別カラーに塗装されて運用についていた。

2005年(平成17年)4月1日の名鉄600V線区(岐阜市内線・揖斐線・美濃町線・田神線)全廃に伴い運用を離脱した。


福井鉄道 (2005年?) [編集]

譲渡後の状況
岐阜での路線が廃止された2005年に福井鉄道へ譲渡された。

車両は4編成とも搬出前に、名鉄岐阜工場(岐阜検車区)において内外装変更と機器類の改装を施された。

外装は塗装変更など若干の変更に留まったが、機器類は福井鉄道に特化して改良された。福井鉄道では従来の高床式高速電車並みの高速性能を確保する必要があることから、高速運転に備えて元からあった制御装置の弱め界磁を活用し、運転台の主幹制御器も変更している。パンタグラフはシングルアーム式に交換し、この際、従来2基装備されていたパンタグラフを1基のみに減じている。ATSや列車無線装置についても、名鉄式から福井鉄道仕様に交換している。ブレーキは従来通りSME(非常管付三管式直通空気制動)のままである。

改装終了後、2005年9月末から10月初めにかけて旧美濃町線のモ800形とともに陸路で搬出され、翌2006年4月1日より、正式に運用に就いた。

外装の変更点 [編集]
福井鉄道へ譲渡された770形の塗装は、白を基調としており、前面部窓の下と飾り部分の間、および側面部の窓部分に青帯、車両下部に黄緑と緑の帯が塗装されている。それぞれの色が、福井の雪、海、野、山を表現している。また、側面部の運転席側ドア付近に福井鉄道のロゴマークが付されている。このデザインは、同時期に搬入されている800形も同じである。

性能諸元 [編集]
製造初年:1987年
全長:20200mm(2車体合計)
全幅:2106mm
全高:3956mm
自重:26.2t(2車体合計)
車体構造:全金属製軽量車体
定員(着席):90(52)人(2車体合計)
主電動機・出力:東洋電機製造TDK8430-B形 38kW×4(駆動台車は両端台車)
制動装置: SME(非常管付三管式直通空気制動(保安ブレーキ装備))
台車: 住友金属工業FS532(両端動台車)・FS032(中間連接部付随台車)
起動加速度:2.0km/h/s

逃走の大地 ロゴス クキン タラン ハンマー ベニア 琥珀の月 ガブリエル アフタン フリーダム アイド いせい レインボー カスタ シャックル 天応最適 スポー マンバ てんびん ミュンヘン ガラニン ドリン ブルドー 春玉 バンニン 青い ドレス ブラン ビデオ メンタリ サーペント ビットト ドルフィン ピクトブ ルドベ サーコー 市松模様 ミントン マルタ リタイ バッテ ブラシ トルコ石 ネート オフチュ シンド ウース ミツマタ ラッシュ ちずい魚

2009年03月08日

緋色の研究

『緋色の研究』 (ひいろのけんきゅう, A Study in Scarlet、1886年に執筆され、翌年発表) は、アーサー・コナン・ドイルの小説。最初のシャーロック・ホームズシリーズ作品。

ホームズとワトスンの出会いと、その後起こる殺人事件を描く。事件の捜査が行われた、第一部「医学博士、元陸軍軍医ジョン・H・ワトスンの回想録の翻刻」と、犯行に至った歴史が導かれる第二部(無題)の二部構成。

原題は "A Study in Scarlet" であるが、この study をどのように訳すべきかの論争がある。最初にシャーロック・ホームズシリーズ全編の翻訳を刊行した新潮社が『緋色の研究』としたことでこの題名で定着しているが、ここでの study は「スケッチ」や「論文」に近い意味ではないかという意見がある。事実、後に翻訳を刊行した河出書房の版では『緋色の習作』としている。


モルモン教への言及について
この作品はモルモン教の末日聖徒イエス・キリスト教会が一夫多妻制を放棄した1890年よりも前に書かれた。 モルモン教徒は現在では一夫多妻を教会としては認めていない。脱会、あるいは分派した元信者により現在も正確な数は不明であるが、一夫多妻を続けているといわれている。 本編中でのモルモン開拓者やブリガム・ヤングに関する記述は相当な誤解と偏見を含んでおり、現在もなお多くの部分では修正されていない。ジョセフ・スミス・ジュニアによって創設された当時のモルモン教には確かに過激な面があり、ブリガム・ヤングらの努力でそうした部分は是正されていったが、当時のヨーロッパにはまだ強い誤解が残っていたのである。

第一部
第一部はワトスンの回想の形で始まる。医学博士ジョン・H・ワトスンはイギリス軍の軍医としてアフガニスタンの戦場に赴くが、左肩に重傷を負い(後の作品では負傷したのは脚となっており、ホームズシリーズの謎の一つ)、イギリスに送還された。為す事もなく過ごしていると、かつて助手をしていた男からシャーロック・ホームズという特異な人物を紹介され、ベーカー街で共同生活を開始する。初対面にも関わらず、ワトスンが負傷してアフガニスタンから帰ってきたことや、見も知らぬ男の前歴を言い当てたホームズの観察力と推理力は、ワトスンを驚かせる。共同生活を始めてまもなく、ホームズの元にスコットランド・ヤードのグレグスン刑事から殺人事件が発生したとの手紙が届き、ホームズはワトスンを連れて現場に向かう。グレグスンとレストレイド刑事は難事件にお手上げの様子。殺されていたのは立派な服装の中年男で、イーノック・ドレッバーの名刺を持っており、壁には「RACHE(ラッヘ。ドイツ語で復讐の意)」と血で書かれた文字があって、女の結婚指輪が落ちていた。ホームズは綿密な現場検証をして、被害者が毒殺されたことや犯人の人相・特徴を推理し、第一発見者の巡査に事情聴取をしたりと、次々に捜査を進めたうえ、新聞に結婚指輪の拾得記事を出す。指輪を使って犯人をおびき出そうというのだ。予想通り指輪の受取人が来るが、ホームズが推理した赤ら顔の大男ではなく、老婆であった。しかもその老婆を尾行したホームズは見事に巻かれてしまう。一方グレグスンは、ついに犯人を逮捕したと得意満面であった。彼が捕らえたのは、ドレッバーが秘書のスタンガスンと共に下宿していた家の女主人の息子である海軍将校だった。事件前日、ドレッバーがそこを引き払う際にその家の娘を無理やり連れ出そうとし、兄であった海軍将校に叩き出された事実があったのだ。それが犯行の動機だとグレグスンはホームズに言うが、続いてやって来たレストレイドが、秘書のスタンガスンが宿泊先のホテルで刺殺死体で発見されたと伝える。ホームズは、準備万端整えた上で辻馬車を呼ぶ。何事かといぶかしむワトスン、グレグスン、レストレイドの前で、入ってきた馭者にあっという間に手錠をかけ、目を輝かせてこう叫んだ、「諸君!イーノック・ドレッバーおよびジョゼフ・スタンガスン殺害の犯人、ジェファースン・ポープ氏を紹介しましょう!」と。
第二部
第二部は、一転してこの事件の裏に潜む過去の深い因縁が語られる。北アメリカ内陸部の砂漠。ジョン・フェリアと孤児のルーシーは迷って死に掛けたところを、ブリガム・ヤングに率いられた移動中のモルモン教徒の集団モルモン開拓者に救われる。彼らはソルトレイクシティ(末日聖徒イエス・キリスト教会本部)を建設し、ジョン・フェリアは郊外で一生懸命働き、やがて屈指の富豪になった。また彼はルーシーを養女にして実の娘のようにかわいがった。成長したルーシーは、並ぶ者の無い美しい少女となったのである。ある日ルーシーは、旅の青年ジェファースン・ホープと出会い、彼の実直さと強さに引かれた。ホープも彼女に好意を持った。父ジョンは二人の結婚を認めた。ところが、一時ホープが町を去った時、モルモン教の指導者ブリガム・ヤングはルーシーに青年ドレッバーかスタンガスンとの結婚を命令した。指導者に背けば命は無い。ジョンは町からの脱走を決意し、ホープを呼び戻す。土地勘のあるホープに導かれ、人跡未踏の荒野を踏破する。ここまで来れば安心と、つい気を抜いたホープの裏をかくようにドレッバーとスタンガスンの一隊が襲い、ジョンを殺害、ルーシーを奪って去った。彼女はドレッバーと結婚させられるが、意に沿わぬ結婚に程なく病死、葬儀の場に飛び込んだホープは彼女の指から結婚指輪を抜き取って去る。以後、ドレッバーとスタンガスンは執拗に命を狙われる。彼らはソルトレイクシティを離れ、アメリカ国内からヨーロッパを転々としてホープの追跡から逃れる。しかしホープも超人的な執念で彼らを追った。年月がたち、彼らはロンドンに来る。そこでついに件の殺人事件に至ったのであった。下宿を追い出されたドレッバーは辻馬車を拾う。この馬車こそ、ホープが二人を追うために馭していたものだった。ホープはドレッバーを空き家に連れ込み、毒薬の決闘を挑む。彼は自分の復讐を神の手にゆだねたのだ。毒入りとそうでない丸薬を用意し、両者で同時に飲み込み、毒入りに当った方が死ぬという方法である。そしてホープが勝った。結婚指輪はその時落としたのである。スタンガスンにも同じ方法を挑んだが、彼はいきなり襲いかかって来たため、やむなく刺殺したのだった。取り押さえられたホープはおとなしく縛につき、スコットランド・ヤードに連行され、以上のようないきさつをホームズ、ワトスン、刑事たちに語った。そして、長い追跡のため無理を続けて体を壊していたホープは起訴を待たずして獄死した。ホープを犯人と見破ったホームズの慧眼にワトスンは敬服し、しかし手柄をグレグスンとレストレイドに横取りされても何も言わない彼を見て、自分がホームズの活躍を記録して世に出そうと決心する(ワトスンの台詞で物語が締めくくられる正典は本作のみである)。
警察は、第1の殺人事件の現場であるBrixton houseの所有者から一度も事情を聞いていない。家の扉は施錠されていたのだから、第1の殺人事件の犯人は鍵を持っていたはず。そうなると前にジェファースン・ポープの馬車に乗ってブリクストン通りの空き家を見にきた客が鍵を持っていたということで、その客が第1の候補となるはず。
また、ジェファースン・ホープが、自分のキャブがベイカー街221B番地に呼び出されたとき、何の疑いも抱かなかったことも不自然である(彼は、同じ住所に老女に扮した友人を送り込んでいる!)。前日に、金のリングについての新聞記事を読んだ直後に、彼がその住所を忘れてしまうとは考えにくい。
パノラ 暮し情報 ブーケ アカシア シーケン ブッサフマ ミストダ ユーロ ミリタ チャーミ 陽陽次 シャルテマ しゃる 淡き宵 プレス ウーハイ コラー オパールグ マイト モルフォ チュー エージ ソロ ブルカ ムスタ サイボー パクト けいらい トランス おおわひん シーラ ネクタ グアニリ モスキ アングル コロンボラ ボイルド しめじ アカンバ ダイナマイ テレメ 検索メンス テラス ドクダミ ルランナー モーリシャ プレスリ セルン ブレー さんじゅ

シャーロック・ホームズ
ジョン・H・ワトスン
G・レストレイド
トバイアス・グレグスン
ジョゼフ・スタンガスン
イーノック・ドレッバー
ジェファースン・ホープ
ルーシー・フェリア
ジョン・フェリア
ブリガム・ヤング

2009年02月20日

星界の紋章

人類が、太陽から0.3光年離れたところに発見した「ユアノン」なる素粒子を利用した恒星間宇宙船を開発し、惑星改造により太陽系外に居住惑星を拡大し始めて何世紀も後のこと…。
タジーン ドジョブ セキュア きり ポストマン ニアミス フェデ ラテックス ホトトギス フェー タイダイ ふうせん ベリル そばみち メントール カネロニ キャンドル ファンク ブッシェル チェチ シュロチ チンネ じゃぼ ジベレリン タイシ ふらの タンキニ レユニ クロスボ 鉄人 リッポン ティナド いささ トリップ とうみょ ロレック ストップ プラン テンス プロテオ ノクターン ハコネ ハートフル タヒチ まるも ダウン ウェブ ザンサス びゃっこ マフィン

ハイド星系・惑星マーティンの政府主席の息子ジント・リンが幼少の頃、彼の故郷は「アーヴによる人類帝国」なる星間帝国の大艦隊によって侵略を受けた。彼の父ロック・リンは降伏と引きかえに貴族の称号を得、そのためジント自身も帝国貴族の一員となる。それから7年後、ハイド伯爵公子となったジントは、皇帝の孫娘ラフィールと運命的な出会いをする。 その時からジントは帝国貴族として生きていく事を決意する。

物語では、アーヴとよばれる遺伝子改造によって生まれた架空の種族によって宇宙の人類世界の大半が支配されている。アーヴはホモ・サピエンスと異なる遺伝的特徴をもつにとどまらず、宇宙空間を旅する船舶、あるいは宇宙に浮かぶ都市や施設など宇宙空間で暮らす事を常とすることでも人類一般と異なる。

このアーヴという種族の設定のみならず、超光速航行を可能にするために別の宇宙である「平面宇宙」を移動する、平面宇宙航法と呼ばれる恒星間航行の設定や、アーヴ語と呼ばれるアーヴ独特の言語体系などの設定も星界シリーズの大きな特徴となっている。

日本神話を世界設定の背景にしていることも特徴的で、例えば八頸竜「ガフトノーシュ」は「八俣大蛇(ヤマタノオロチ)」、金色鴉「ガサルス」は「八咫烏(ヤタガラス)」、皇族「アブリアル」は「天照(アマテラス)」、帝都「ラクファカール」は「高天原(タカマガハラ)」であり、また「帝国(フリューバル)」は星々の集合ということで「御統(ミスマル)」の語形変化とされる。

また、(侵略者でもある)専制国家を従来のようにステロタイプな敵役としては描かず、むしろ「主人公を法の枠さえ超えて厚遇してくれる」ある種の理想国家として美化して描き、厚遇の象徴として高貴な身分のヒロインを主人公に配した最初の作品でもある。

ストーリー

星界の紋章I
ロック・リンの降伏・叙爵に伴い、ジントはロックの秘書にして育ての親であったティル・コリントと離れ離れになり、ヴォーラーシュ伯国デルクトゥーに送られた。7年後、アーヴ言語文化学院を卒業したジントは帝都ラクファカールにある星界軍の主計修技館(ケンルー・サゾイル)に入学するため巡察艦ゴースロスに乗り込む。彼を迎えに来た翔士修技生ラフィールは、皇帝の孫であった。いろいろあった末に友情を結んだ二人は、突如4ヵ国連合の一つである人類統合体の艦隊の攻撃を受けて脱出(その後ゴースロスは撃沈)。二人を乗せた連絡艇は燃料補給のためフェブダーシュ男爵領へ到着するが、男爵により二人は引き離され、ジントは監禁されてしまう。

星界の紋章II
ジントが監禁されている事を知ったラフィールは男爵の家臣セールナイらと、ジントは共に監禁されていた前男爵スルーフと協力して脱出し合流。追撃してきた男爵を倒した二人は目的地のスファグノーフ侯国へ向かうが、惑星クラスビュールに着陸したときにはすでに人類統合体により星系は占領されていた。地上人に変装した二人を待ち受けていたのは、マルカ率いる、帝国からの独立を夢見る「反帝国クラスビュール戦線」の面々であった。一方、4ヵ国連合の大使から抗議された皇帝ラマージュは連合に対して宣戦布告した…。

星界の紋章III
二人の着陸跡を発見した人類統合体軍は、二人と「戦線」との関連を突き止め、追跡を開始。ルーヌ・ビーガ市警察のエントリュア警部は統合体のカイト憲兵大尉とともに二人を追う。一方、スファグノーフ奪還のために帝国は大艦隊を派遣。スファグノーフ門沖会戦が始まった。あちこちで追跡劇を繰り広げた二人を脱出させるために「戦線」のメンバーは奇想天外な脱出法を提案。二人は無事に救出されたが、そこに待ち受けていたのは……。

そして、3年後……

登場人物

星界シリーズの重要諸設定
星界シリーズにおける宇宙観は、通常の宇宙物サイエンスフィクションとは大きく異なる。一番著しいのは、超光速航法の描写である。通常宇宙空間から「門」を通じて「平面宇宙」という別の宇宙空間を経由して、再び「門」をくぐって通常宇宙空間へと戻るという方式である。もちろんこのような「場所を限定するワープ」というのは、過去のSF作品でもよく見られるものであるが(ワームホール航法など)、星界シリーズの超光速航法で特徴的なのは、別の宇宙空間である「平面宇宙」での描写が詳細である事である(他作品では、ワープの間に経由する別宇宙空間は一瞬のうちに通過してしまい、ほとんど描写されない場合が多い)。「平面宇宙」の通過にはそれなりに時間を要し、そこでの宇宙戦闘艦どうしの戦闘も生じる。また恒星間の移動は全て「平面宇宙」を経由する事から、宇宙地図・星間国家の勢力図は、平面宇宙上の地図で表される。

この世界には、かつては数百を越える国家(恒星系ごとに独立)が存在したようであるが、長年の間に侵略と併合を受け、現在は「アーヴによる人類帝国(フリューバル・グレール・ゴル・バーリ)」、通称「帝国(フリューバル)」を含めて5ヶ国しか存在しない。

帝国は人類宇宙の約半分を支配し、その交易により莫大な富を得、超大規模の星界軍(ラブール)を維持している。と言うよりも、星界軍が帝国の政治、行政の多くを動かしており、事実上帝国の基盤となっている。

形式上は皇帝(スピュネージュ)が帝国全体を統治しているが、その支配は緩やかなものであり、地上世界(ナヘーヌ:有人惑星)では現地人から成る領民政府(セメイ・ソス)が各惑星の統治を行い、帝国に対しては領民政府の代表である領民代表(セーフ・ソス)が、帝国貴族である領主(ファピュート)と各種の交渉を行う(領民政府の統治権は大気圏外には及ばない。従って複数の有人惑星を持つ星系には同数の領民政府がある)。

このように、帝国は地上世界や領民(ソス)に対して直接関与せず、地上世界で起きていることに通常はまったく関心を払わない。領民は、帝国臣民としての自覚や忠誠を期待されてはおらず、帝国の支配に反対することすら禁止されていない。

人類宇宙の残りの半分は、一部は遺伝子操作種族もいるものの、普通の人類からなる「人類統合体」「ハニア連邦」「拡大アルコント共和国」「人民主権星系連合体」が、離合集散しながら統治している。彼らは一般に、アーヴの帝政に嫌悪感を持っており、民主主義国家を標榜している。「4ヵ国連合(ノヴァシチリア条約機構)」という軍事同盟を結んでアーヴによる人類帝国と敵対しているが、各国の帝国に対する態度には温度差がかなりある。

戦いは、帝国以外では最も強大にして敵愾心の強い、人類統合体の大規模な先制攻撃から始まった。帝国は、これに対し断固たる報復で応える所存であった……。

アーヴによる人類帝国

アーヴとは

帝国(フリューバル)の社会構成
アーヴ
法律上は皇族・貴族・士族の総称。つまり地上人でも功績によって士族や貴族に取りたてられればアーヴとして扱われる。ただし、子孫にその爵位(スネー)を継がせたければ、遺伝子操作により生物学的なアーヴとしなければならない。
皇族(ファサンゼール)
「アブリアル」の氏姓と「ネイ」の姓称号(サペーヌ)を持つ八王家(ガ・ラルティエ)に属する者。軍役に就く義務を負い、同世代の皇族の中で最初に帝国元帥(ルエ・スペーヌ)まで昇進できたものが皇太子(キルーギア)になり、同時に他の皇族は予備役編入となる。なお、各王家の長はそれぞれ帝都ラクファカールにある八つの門の一つと、それに(平面宇宙側で)近接する多数の門からなる王国に封じられている。王家の長以外の皇族は、通常どこかの恒星系を領地(リビューヌ)として与えられ、貴族爵位を持つ(たとえばラフィールは子爵である)。なお、皇帝は「アブリアル伯爵」の爵位を持つが、これは帝都ラクファカールの領主、という立場であり、実質上皇帝としての称号である。皇族は、全員が生物学的なアーヴである。
貴族(スィーフ)
原則として、恒星系を領地として持ち、世襲でそれを統治する者で、領主(ファピュート)とほぼ同義である。皇族から分かれた家は「ボース」、帝国成立時からある貴族の家は「アロン」、帝国成立後に貴族となった家は「スューヌ」の姓称号を持つ。爵位は上位より大公爵(ニーフ)・公爵(レークル)・侯爵(レープ)・伯爵(ドリュー)・子爵(ベール)・男爵(リューフ)がある。アーヴの爵位は領地の状態に由来しており(詳細は後述。また例外は大公爵で、根源氏族直系の長を表し、地上世界の状態に由来しない)、それゆえ地球上に存在した爵位のように貴族の階級別栄誉称号ではない。地球上の爵位は元は職名に由来しており、その職が有名無実化する事によって栄誉称号化したものが多いが、アーヴの貴族社会はそのような変遷をまだ経験していないためである(後述する通り軍隊は兵器体系の変遷があり、職名が階級化している)。ただし領地と爵位が密接に関わっている点に関してはヨーロッパの爵位と類似はしている(それゆえヨーロッパでは複数の領地を持つ貴族が複数の爵位を持つ場合もあるが、アーヴにおいては複数の領地を持つがゆえに複数の爵位を持つのは皇帝のみである)。
世襲の貴族の場合、各爵位の叙爵基準は以下の通り。
大公爵
皇族であるアブリアルを除いた根源二八氏族直系の一族の長のみに与えられる。領地の規模は様々であるが、必ず領民が住む地上世界(邦国(アイス)と呼ぶ)を含んでいる。
公爵
侯爵の中で、特に大きな功績があった者が昇格する。生まれの血筋に関係なく、帝国内で誰もが到達可能な最高位である。ただし、実際に到達するのは極めて困難である。
侯爵
領地内に、領民が住む地上世界を持つ。通常、領地内の領民数が1億人を超え、なおかつある程度以上の領地経営の手腕が認められていることが必要。
伯爵
領地内に地上世界を持つが、領地内の領民数は1億人以下か、領地経営の手腕が不十分である場合。
子爵
地上世界を持たず、領地はすべて無人の所領(スコール)。ただし、環境改造すれば居住可能になる惑星を領地に持ち、そうした惑星を開拓して帝国の拡大に貢献する事が期待される。
男爵
領地に地上世界を持たず、また環境改造しても居住可能とできる惑星を持たない。恒星エネルギーを利用した反物質燃料の生産や、無人惑星(小惑星やガス惑星等)から鉱物資源や燃料の水を採掘し、それらを売ることで生計を立てる。
地上世界を持つ場合(大公爵、公爵、侯爵及び伯爵)を「諸侯(ヴォーダ)」と呼ぶ。領主の収入は、無人惑星の鉱物資源採掘権、恒星周辺における反物質燃料(ベーシュ)の生産権を利用した生産物の売却益で、さらに諸侯の場合、他星系との星間交易権の独占による商取引での利益がある。これらの「領地経営による収入」については、帝国から課税される(帝国への納税は貴族の高貴なる義務であり、中世・近世の実際のヨーロッパ貴族が免税特権を持っていたのとは逆である)。
帝国に編入されたばかりの星系や、何らかの理由で領主が空位となった星系は一時的に帝国直轄領=皇帝領となり、新たな領主が決まるまでは代官(トセール)が任ぜられる。そのため、皇帝は上記の「アブリアル伯爵」以外にも、その領地の数だけ男爵から公爵までの爵位を同時に持つ立場になることがある。
貴族自身が長く行方不明の場合(たとえばヴォーラーシュ伯爵など)や、特に諸侯で何らかの事情により地上世界の統治が困難または不可能である場合(たとえば取り決めにより領地内に長期滞在できないハイド伯爵など)にも、領地の近く(通常、軌道城館内)に代官が置かれる。これらの場合の代官は一時的なものではなく、比較的長期にわたり、その任に就くこととなる。
貴族の子弟が爵位を継ぐには、翔士として最低10年(修技館及び翔士修技生を含めると13年)、星界軍へ奉職することが義務づけられている。また、領地を持っている場合、星界軍に所属している間は無給である(ただし何らかの事情で収入がない場合は、星界軍から年金が支給される)。
数は少ないが、領地を持たない貴族も存在する。本来は領地を持つ世襲の貴族であるが、敵国の侵略等により領地を奪われた貴族(ジントも一時的にこの立場になった)と、皇族から離籍した公子(皇帝にならなかった皇族や王族の子女)、領地を持つ貴族の傍流で『公子』という爵位のみ継承する貴族、一代限りの貴族(星界軍や帝国政府で特に高い地位に達した国民、官僚などで、称号には『帝国(ルエ)?』の後に公爵以下の爵位がつく)がある。
また、上記の一代限りの貴族が領地を賜って世襲の貴族になる場合もある。例を挙げると、星界軍の翔士は、各兵科(一部を除く)の最高位である星界軍元帥になると叙爵される(フェブダーシュ男爵・クロワールの祖母は一領民であったが、従士から翔士、さらに技術元帥・艦政本部長官に出世、所領を賜り正式の男爵となった)。
星界軍の翔士以外にも、官僚が功績を上げて貴族となる場合もある。ただし多くは一代限りの貴族であり、世襲の貴族となる場合は少ない。宰相まで勤めてもせいぜい男爵、特筆すべき功績をあげても子爵が精一杯で、条件は厳しい。国民ですらなかった地上人が一足飛びに貴族、しかも伯爵となったロック・リンは、例外中の例外である(帝国編入と引き換えに皇太子ドゥサーニュに自らが貴族となることを認めさせた)。
上記の叙爵基準から、男爵から子爵への昇格は、かなり困難であると考えられる。男爵は、自領にどのような投資をしても有人惑星を持つことが不可能であるため、子爵以上に昇格するには何らかの大きな功績を挙げ、少なくとも有人惑星が持てる別星系の領主となることが必要である。子爵以上であれば、自領への投資(惑星改造、移民募集、邦国への経済的援助など)により、公爵までの上位昇格を狙うことができる。
なお、貴族籍を捨てることもできる。すべての貴族特権を失い、領地は帝国へ返上となる。
諸侯は約1600家で、家族を足しても2万人足らず。貴族全体では20万人ほどである。

2009年02月04日

新田氏(にったし)は、上野国発祥の豪族

新田氏(にったし)は、上野国発祥の豪族。本姓は源氏。家系は清和源氏の一流河内源氏の棟梁源義家三男義国の長子新田義重を祖とする上野源氏の総称[1]。義国流足利氏と同族である。上野国(群馬県)を本拠とした。家紋は大中黒。
レコーダ ケース チトク 時代の扉 僕達の舞台 フットホ セット リーダー ムーミン カーラ ヌーベ エンジェル ケーエフ マスメ ブラウ フェース コモン キモスタ スクハ プリン ユーロダ マリーナ ジョイント 天慶 シーザー ビブ シンプトン カラー ロケオ カザノ カラー レタッ サラマ トラン ロスタ マカラ グルプ アニメ クレス シーズンオ トンネル セリウ 楓の小舎 杜仲 サーチズミ ピース パラグ チポフ チョイス ムード

開祖は河内源氏の棟梁の源義家(八幡太郎)の三男(諸説あり)源義国。義国は下野国足利荘(栃木県足利市)を本拠としていたが、足利荘は義国の次子である足利義康が継いで足利氏を名乗り、義国と長子の新田義重は渡良瀬川対岸の浅間山噴火で荒廃していた上野国新田郡(群馬県太田市、旧新田郡新田町など)を開発し、保元2年(1157年)平家方の藤原忠雅に開発地を寄進し、新田荘が立荘された。本家は鳥羽院御願寺の金剛心院、領家は藤原氏北家花山院流となる。[2]荘官に任ぜられた義重は新田氏を称し、新田荘と八幡荘を中心に息子たちを配して、支配体制を確立する。

義重は周囲の藤姓足利氏や秩父党、源義賢と対立するが、甥である足利義兼や源義朝と連携し、それらに対抗する。特に義朝の長子義平に娘を娶らせるなど積極的に関係を強めている。しかし、平治の乱で義朝が没落すると平家に接近している。ちなみに、新田荘領家である藤原忠雅も平清盛に近づき太政大臣にまで昇進した公卿である。

1180年(治承4年)、伊豆に流罪となっていた義朝の子源頼朝、木曽では義賢の子源義仲らが京都の平氏政権に対して挙兵し、治承・寿永の乱となる。平家に属し、京に滞在していた新田義重は、頼朝討伐を命ぜられ東国に下った。義重は上野国八幡荘寺尾城に入り兵を集めながら事態を静観し、頼朝追討に加わらなかった。その後、木曽勢は上野国へ進出し、下野国足利荘を本拠とする平家方の藤原姓足利氏の足利俊綱と対立するが義重は中立を保つ。一族の中には、甥足利義兼や子山名義範、孫里見義成など、鎌倉を本拠とした頼朝のもとへ参じて挙兵に加わるものもあったが、義重自身は参陣の要請を無視し、静観していた。頼朝勢が関東地方を制圧すると、12月に義重は鎌倉へ参じる。義重は頼朝から参陣の遅さを叱責されたといわれる。その後の平家との合戦や奥州合戦にも義重が参陣したとの記録がなく、1221年の承久の乱においても惣領は参陣せず、代官として庶家の世良田氏が参陣している。そればかりか、義平の未亡人となっていた義重の娘を頼朝が側室にしようとしたところ、義重がそれを拒否したため頼朝から勘気を蒙ったと伝えられている(『吾妻鏡』)。

これらの経緯により、鎌倉に東国政権として成立した鎌倉幕府において、新田氏本宗家の地位は低いものとなった。新田氏本宗家は頼朝から御門葉と認められず、公式の場での源姓を称することが許されず、官位も比較的低く、受領官に推挙されることもなかった。また、早期に頼朝の下に参陣した山名氏と里見氏はそれぞれ独立した御家人とされ、新田氏本宗家の支配から独立して行動するようになる。その後も新田氏の所領が増えることはなく、世良田氏や岩松氏の創立などの分割相続と所領の沽却により弱体化する。以後、新田一族は本宗系、山名氏、里見氏、世良田氏、岩松氏の5系統に分かれる。

4代の新田政義は、京都大番役での上京中に幕府に無断で出家した罪で御家人役を剥奪される。新田氏惣領職は没収され、一族の新田(世良田)頼氏に与えられ、世良田氏とともに岩松氏が分担する。このとき、新田氏本宗家の所領が得宗家に渡り、得宗勢力被官が荘内に進出する。その後、頼氏が北条氏の得宗家と反得宗家の争いである二月騒動に連座して佐渡に流罪となると、惣領職が新田氏本宗家に復するものの、幕府における新田氏本宗家の地位は非常に低いものとなり、以後は無位無官に甘んずることとなる。

鎌倉時代後期には、8代新田義貞が後醍醐天皇の倒幕運動に従い挙兵、源義国流の同族にして北条氏と重代の姻戚の最有力御家人足利高氏(後の尊氏)の嫡男千寿王(後の足利義詮)を加えて鎌倉を攻め、幕府を滅亡させる。当初、鎌倉幕府の冷遇によって建武政権での新田氏本宗家の権威は同族である足利氏惣領よりも格下に見られていたが、後に政権内部の政争により、義貞は反足利氏派・反武家派の首班として尊氏(高氏改め)と対立した。新田一族中でも義貞とともに上京した者と鎌倉や新田荘に残った者にわかれ、前者は主に義貞に従い、後者や山名時氏や岩松氏・大舘氏・里見氏・世良田氏・大島氏などは主として足利氏に従い北朝方となった。以後、新田氏一族は南朝方の中核を担うが楠木正成とともに戦った湊川の戦いで敗戦。比叡山での戦いの後、長男の新田義顕と共に後醍醐天皇の皇子・恒良親王を奉じて北国に拠点とした。しかし義顕は自決し、義貞自身も越前国金ヶ崎城で足利方の斯波高経に敗れ、同国藤島で戦死する。

義貞の戦死後、三男新田義宗が家督を継ぎ、異母兄の新田義興と共に足利家の内乱である観応の擾乱に乗じて各地を転戦するが、越後国村松郷で関東管領の上杉憲顕の軍に敗れて戦死し、新田氏本宗家は滅亡した。その後も、義宗の子とする新田貞方とその子貞邦や、義宗の子とも伝わる脇屋義則などが抵抗を続けるが、鎌倉公方の軍に破れ新田氏の抵抗は収束していった。

一方、北朝方についた一族の新田岩松氏に上野国の新田荘が与えられ、義宗の落胤を称した岩松満純が入嗣する。

室町幕府には支族である大館氏・大井田氏などが出仕し幕府高官となった。また、三河守護には大島氏が補任された。また、越後に残ったものは次第に守護上杉家の家臣に組み込まれていった。

戦国時代になると新田宗家を継承した岩松氏は重臣横瀬氏に下克上される。横瀬氏は名字を由良氏と改め、新田義宗の子・横瀬貞氏[4]の子孫とされているが、これといった確証がなく信憑性は薄いという。

岩松氏は新田荘北東部の桐生に退隠していたが、後北条氏に代わって関東に入部した徳川家康に接見する。伝来の新田氏系図を進上するよう求められたがこれを拒否し、上野国新田郡田嶋郷内120石の禄を与えられ交代寄合として存続した。また、由良氏も常陸国牛久に5400石の領地を与えられ、数流に分かれた由良氏の中の嫡流家は1000石の高家となった。明治維新後、岩松氏、由良氏ともに新田姓に復し新田氏嫡流をめぐって争い、岩松氏が新政府から新田勤皇党の功績を認められて嫡流とされ男爵に叙された。

『鑁阿寺新田足利両氏系図』によると、義宗には宗親・親季という子があったと言い、宗親の子孫は新田岩松氏とは別の系統として子孫を残したという。また親季は松平正義の養子となり、その子の有親と孫・親氏が三河に流れ松平氏の祖となったという。『筑後佐田新田系図』では、義顕には義一(よしかず)という子があったという。

一方、貞方の庶子貞政は南関東の武蔵国稲毛に逃れたという。この系統は堀江氏と称し、後北条氏に仕え、後に足柄方面に移住し、神奈川県伊勢原市に現存しているという[5]。さらに、奥州に逃れた貞方のもう一人の庶子貞長の曾孫義綱(景綱)が伊達晴宗に仕え、仙台藩臣中村氏の祖となり、庶家に藤沢氏などが出た。この中村氏は宮城県に現存するという。

また、義宗の子とも伝わる新田(脇屋)義則は、母方の世良田氏も継承したといい、その子・祐義は真船村に逃れたという。この子孫は世良田氏を称したのち江戸時代に入って真船氏を称したという。[6]

歴代棟梁
(源義国)
新田義重…新田氏初代
新田義兼…新田氏2代
新田義房…新田氏3代
新田政義…新田氏4代
(新田頼氏/新田時兼・経兼父子)
新田政氏…新田氏5代
新田基氏…新田氏6代
新田朝氏…新田氏7代
新田義貞…新田氏8代
新田義宗…新田氏9代

系譜
清和天皇
 :(6代隔)
 源義国
 ┣━━━━┳━━━┓
 ┃  (足利氏) ┃
新田義重 足利義康 義房(季邦)
 ┣━━━┳━━━━┳━━━━┳━━━━━┳━━━┳━━┳━━┓
 ┃ (里見氏)(山名氏)(世良田氏)(額戸氏)  ┃  ┃(庄田氏)
 義兼 里見義俊 山名義範 世良田義季 額戸経義 義益 義佐 貞基
 ┣━━━━━━━━━━━━┓
 義房          足利義純室
 ┣━━━━━┓      ┣━━━━┓
 ┃ (荒井氏・新井氏)(岩松氏)(田中氏)
 政義   荒井覚義   岩松時兼 田中時朝
 ┣━━━┳━━━━┳━━━━┳━━━┳━━┳━━┓
 ┃ (大館氏)(堀口氏)  ┃   ┃  ┃ (僧正)
 政氏 大舘家氏 堀口家員 谷嶋信氏 経光 助義 小河 
 ┣━━━┳━━━━┳━━━━━┳━━━━━┳━━━━━┳━━━━┓  
 基氏 細谷国氏 下細谷知信 西谷重氏 安養寺快義 安養寺貞氏 今井惟氏
 ┣━━┳━━━━━━┳━━┓
 朝氏 満氏(義政) 義量 義円
 ┣━━━┓
 ┃ (脇屋氏)
 義貞 脇屋義助 
 ┣━━┳━━━┳━━━━┓
 ┃  ┃   ┃  (嶋田氏)
 義顕 義興  義宗  嶋田義央
 ┃  ┏━━━╋━━━━┳━━━┳━━━┓
 ┃  ┃ (横瀬氏)(岩松氏) ┃   ┃
 義一 貞方 横瀬貞氏 岩松満純 宗親 脇屋義則
 ┃  ┣━━━┳━━━━┓   ┃   ┃
 ┃  ┃ (堀江氏)(中村氏) ┃   ┃
 義光 貞邦 堀江貞政 中村貞長 信親  祐義
 ┃               ┃   ┃
 義高              経信 真船義親(真船氏)
 ┃               ┃
 義明              義隆
                 ┃
                 宗信
                 ┃
                 頼宗
                 ┃
                 満家
                 ┃
                 経家
                 ┃
                 経徳
                 ┃
                 宗基
                 ┃
                 義業
                 ┃
                  義風

※『新田町誌』および『系図纂要』による。ただし新田宗親以下は「鑁阿寺新田足利両家系図」、新田義一以下は「筑後佐田新田系図」、横瀬貞氏は「新田岩松古系図」、岩松満純は「新田岩松古系図」、嶋田義央は浅田晃彦『児島高徳と新田一族』、脇屋義則は清水昇『消えた一族』を出典とする。)

新田氏一門
里見氏(大新田氏)
山名氏-足利一族として山陰で勢力を蓄える、侍所の長官を勤めた。
世良田氏
得川氏(得河氏)
江田氏-山陰の丹波綾部で戦国時代末期まで栄えた。
額戸氏(額田氏)
庄田氏
岩松氏-新田本宗家が衰退した後、新田氏惣領職を獲得し本家とされた。
荒井氏(荒居氏)
新井氏(新居氏)-新井白石がその末裔とされる。
大館氏-室町幕府で、要職を務めた。
綿打氏
金谷氏
関岡氏
北村氏
大草氏-江戸幕府の旗本。大館晴忠の子孫。
堀口氏-南朝から美濃を与えられ、美濃に土着。
谷嶋氏
細谷氏
下細谷氏
西谷氏
今井氏
安養寺氏
脇屋氏
佐田氏
嶋田氏:義貞の庶子とする義央(義峰)が祖。
堀江氏
中村氏
横瀬氏・由良氏-本姓:武蔵七党横山氏、小野篁の末裔という。

2009年01月21日

グランドスラム (ゴルフ)

ゴルフにおけるグランドスラムとは、世界4大メジャー大会をすべて制覇すること。

同一年の世界4大メジャー大会をすべて制覇することをグランドスラムという。キャリア・グランドスラムと区別する場合は、年間グランドスラムという。

男子
男子の場合は

マスターズ・トーナメント
全米オープン
全英オープン
全米プロゴルフ選手権
をすべて制覇することをいう。

1930年に、当時28歳のボビー・ジョーンズが当時の世界4大タイトルであった全米アマチュア選手権、全英アマチュア選手権、全米オープン、全英オープンを1年のうちにすべて制覇した。スポーツ界において「グランドスラム」という言葉が用いられたのはこれが最初である。ジョーンズは生涯アマチュアを貫いたため、現在のゴルフ界の「グランドスラム」は当時の意味とは異なっている。マスターズ・トーナメントの会場である「オーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブ」(アメリカ・ジョージア州)は、ボビー・ジョーンズが競技生活からの引退後に設計したコースである。第1回マスターズは1934年に開催された。

タイガー・ウッズが2000年の全米オープンから2001年のマスターズまでメジャー大会4連覇を達成した時、これを「グランドスラム」と認定するかどうかでマスメディアの間に論争があった。前人未踏の偉業であったけれども、「2年にまたがる」この記録は結局グランドスラムとは認定されず、「タイガー・スラム」と呼ばれることになった。

女子
女子の場合は

クラフト・ナビスコ選手権
全米女子プロゴルフ選手権
全米女子オープン
全英女子オープン
をすべて制覇することをいう。

女子のゴルフ・メジャー大会は、長い歴史の中で何度も変更されている。そのため「当時のメジャー大会をすべて制覇した選手」を網羅しなければならない。全米女子プロゴルフ選手権と全米女子オープンはずっと変わっていないが、他の2大会に変更があった点は注意を要する。最近でも女子メジャーの最終戦が、2000年までは「デュモーリエ・クラシック」であったものが、2001年から全英女子オープンに変更されている。大会開催時期も年によって異なることが多かった。

キャリア・グランドスラム
メジャー大会を生涯のうちにすべて制覇することを「キャリア・グランドスラム」という。

男子
男子で、ボビー・ジョーンズとは異なる、現在の定義による「キャリア・グランドスラム」を達成したプロ選手は5人いる。以下に選手名と達成年を記す。
タイム ハンド トリニタ テンシル ファクトリー ふたつ星 はなの舞 ブロイラー スペクタ だっと ラマズダ キーバス 後ろゆび ドラッ エンド もくと トップラ ヒップ トルテ ドーパミン ボケ インタ ファミ テレポ ぱらぴーの タリカ ピューレ カピタン セブサー 春一輪 レイガイド ポット レグルス ロビイ 秘密の花園 コバノ リンワキ ソフトサーチ ムチャコジ オルガン ゲッツ スプーン ランタ しゅいろ うしべに パンパ ブザー ロカール ランダム サブアリ

ジーン・サラゼン(Gene Sarazen; アメリカ、1935年)
ベン・ホーガン(Ben Hogan; アメリカ、1953年)
ゲーリー・プレーヤー(Gary Player; 南アフリカ、1965年)
ジャック・ニクラス(Jack Nicklaus; アメリカ、1966年)
タイガー・ウッズ(Tiger Woods; アメリカ、2000年)

女子
女子で「キャリア・グランドスラム」を達成した選手は6人いる。以下に選手名と達成年を記す。

ルイーズ・サッグス(Louise Suggs; アメリカ、1957年)
ミッキー・ライト(Mickey Wright; アメリカ、1962年)
パット・ブラッドリー(Pat Bradley; アメリカ、1986年)
ジュリ・インクスター(Juli Inkster; アメリカ、1999年)
カリー・ウェブ(Karrie Webb; オーストラリア、2001年 → 2002年に「スーパー・グランドスラム」達成)
アニカ・ソレンスタム(Annika Sörenstam; スウェーデン、2003年)
最初の2人、ルイーズ・サッグスとミッキー・ライトの時代は「タイトルホルダーズ選手権」と「ウェスタン・オープン」がメジャー大会だった。タイトルホルダーズ選手権は1937年?1966年と1972年まで、ウェスタン・オープンは1937年?1967年までメジャー大会であった。

女子で、ボビー・ジョーンズやタイガー・ウッズのように、メジャー4大会に連続優勝をした選手は、現時点では誰もいない。

スーパー・グランドスラム
5人目の達成者、カリー・ウェブは1999年のデュモーリエ・クラシック → 2002年の全英女子オープンを制覇しているため「スーパー・グランドスラム」と呼ばれたが、これは「過渡期」的な用語と言えよう。もし、ジュリ・インクスターが全英女子オープンを制覇すれば、スーパー・グランドスラム成立の可能性がある。アニカ・ソレンスタムはデュモーリエ・クラシックで優勝経験がないため、スーパー・グランドスラムには該当しない。

ダブル・グランドスラム
すべての4大メジャーで2勝以上あげることをダブル・グランドスラムといい、ジャック・ニクラスが1971年に、タイガー・ウッズが2005年に達成。

トリプル・グランドスラム
すべての4大メジャーで3勝以上あげることをトリプル・グランドスラムといい、ジャック・ニクラスが1978年に、タイガー・ウッズが2008年に達成。